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いよいよ手術!

朝7時半、義母の運転する車で病院に行った。早朝なだけあって、道路も全然混んでいない。時間10分前に着いたけど、早めに中に入れてもらった。貴重品をロッカーに入れて、手術服に着替え、尿の検査をして待合室に義母と入る。
続々と私の後の予約の人が入って来る。腎臓結石のおじいちゃんとか、私と同じ不妊症の40歳の人とか色々である。でも私がどうやら一番早いらしい。
またしても麻酔師に呼ばれ、再度確認し、書類にサインをする。しばらく待たされ、今度は医師達と顔合わせ。3人の中にはDr.Gもいた。知ってる顔を見るとちょっとホッとする。まだまだ待たされそうだった。私が不安な気持ちではちきれそうになってると思ったのか、義母が持っていたトランプでゲームをしよう、と言い出す。しかも、他に待ってる人たちをも誘ったりしてるしそう、彼女は”ちょっと”変わっているのだ。断るのもなんだし、どうせ暇だしゲームに付き合う。

待たされること約一時間、ようやく始る!眼鏡がないと歩けない(普段はコンタクトだけど)私だけど、外して、と言われ、裸眼で不安げに歩いて手術室へ向かう。

あんまり見たことないけど「Shortland Street」(NZの病院物連続ドラマ)みたいな雰囲気の中、麻酔を投入される。
「感覚ありますか?」なんて聞かれてるうちに意識がなくなる。



意識が戻った。
「名前と生年月日を言って?」
と言われる。これは先週の麻酔師との打ち合わせの際に、術後にこの質問があると聞いていたので「何で?」と思わず答えることができた。
「痛いですか?」
痛かったので、その旨答えると、
「じゃあモルヒネ足すからね。今度はどう?」
って、間髪入れずに聞く。ええ?もう入れたの?で、入れてすぐ効くもんなの???ってことは、相当強いのねぇ、モルヒネって、やっぱり
と恐ろしくなりながらも、まだ痛かったので、「痛い」って言うとまた足してくれ、そしてまた「痛い?」って聞いてくる。まだ痛いって言ってると、永遠にずっと足され続けてしまってモルヒネ中毒になったら怖い(ならないって)と思ったので、大丈夫かも、と強気の姿勢に切り替えた。

しばらくして、術後室に移された。そこは個室ではなくて大部屋みたいなところをカーテンで仕切ってるだけだったので、他にも何人か手術を受けた人がいた。
義母が登場した頃、麻酔が切れてきて、前回の盲腸の手術の時みたいにガクガク震えて来た。義母がビックリして医者を呼びに行く。子供だましみたいだけど、オレンジ色のバーレイキャンディーをくれた。糖が効くってことかな?でも食べる気力もなく、震え続ける中、涙がボロボロ出てきた。義母が手を握ってくれた。誰かに一緒に来てもらって本当によかった。

しばらくしてロッカーに入れていた貴重品と着替えを看護婦さんが持って来てくれて着替えるように言われる。まだまだガタガタ震えてるのに殺生な・・・、と思いながらも義母に手伝ってもらいながら・・・というか、義母にパンツ、ブラジャーをはかせてもらったもう、恥じらいとか言ってる場合じゃなかった。

その後、ベッドから降りて椅子に移る様に言われる。トイレに何度か行って出血がある程度治まるのを出されたMiro(こちらでは”マイロ”と発音する)なんか飲んで待たされた。私は重病人みたいに弱ってしまったが、他の人は付き添いの人と一緒でも、どっちが手術を受けた人かわからないぐらいピンピンしていたりする。なんか私って弱っちいな、と情けなくなりながらも、義母に支えられながら停めた車まゆっくり歩いて行き帰宅した。1時頃には帰宅していたのでかなり短時間で済んだらしい。

手術の結果は異常なし!良かったぁ~。

今日は木曜なので、明日の金曜、週末の土日の4日間仕事は休み、月曜からは出勤だ!早く傷が回復して、出血も止まりますように!


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プロフィール

モニやん

Author:モニやん
40代中盤の旦那
40代突入のモニやん

不妊治療の末、2006年3月13日に第一子の女の子(モニ子)、
2009年8月18日に第二子の男の子(トビ)を授かりました。

子育て日記+NZのことなんかをちょこちょこ書いています。

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