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2013年2月~3月

feb1
 
去年の8月から咳が続いているトビ。
喘息の疑いもあるけど、まずはアレルギーがあるかどうかの検査を、
っということで、パッチテストをしてもらいました。
6番に強い反応。Mixed Grassっていう、芝のようです。
そっちこっちにあるから避けられない~~。

feb2

2月9日、毎年恒例のお友達家族とのキャンプ in Miranda。
トビがだいぶ大きくなったので楽でした~。

feb3

6歳も後半の後半、なのに、未だに一本も乳歯がぬけないモニ。
抜ける前に永久歯が後ろから出て来てしまい、歯医者の相談したら、
手前の乳歯を抜くことに。麻酔も抜歯も泣かずにケロリのモニでした。

feb4

ダディの病気。。。
全く不必要なVan、破格だからってだけで購入。
その後、いろんなビルが払えず困ることに。。。。。。。。。

feb5

今年も出しました、蚕でできた雛人形。
おじぃちゃん、ありがとう!

feb6

7歳の誕生日のプレゼントは新しい自転車。
4月に初トライアスロンに挑戦するので。
もち、古い自転車はトビへお下がり。ピンクでも嫌がらず、いい子いい子。

feb7

3月9日、ミュージーアムで夜行われた、”The breath of the Volcano”のショー。
ミュージーアムの壁をスクリーンにして映像が映し出され、沢山の花火などなど、
素晴らしいショーでした。途中トビ寝たけどね。

feb8

3月16日、モニの7歳の誕生会。
今年は11人のお友達をボーリングに招待。

feb9

マーメイドのケーキを催促されて、悩む悩む。
人形使って誤魔化した!

mar1

その誕生会の忙し~~い日の朝、後頭部をダディーに刈られ、
頭頂部前頭部を修正できなくなり、床屋のマイケルのところに逃げ込み
坊主になったトビ。違和感。。。

mar1

3月24日、一年前から通い始めた日本語補習教室の発表会。
一年前はひらがなで自分の名前さえも書けなかったんだけど、
なんとかひらがな、そしてカタカナも7割方、漢字も5~6個、
書けるようになりました。
発表会もみんな素晴らしかった!!
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2012年12月~2013年1月

やっぱり年末はなにかとバタバタで、手が回らず。
年始早々、喉をやられ、扁桃腺を切った方がいいか検討中。

モニとトビは相変わらずグーで殴り合いの喧嘩の日々。
トビはようやく若干言葉を覚え、日中はナッピーが外れた。ほっ。

そんな2ヶ月でした。まとめて写真記録。

2012.12-2
通っている日本語学習会での成果。
ひらがなもカタカナも4月までは書けなかったことを思えば
ものすごい成長ですが、辞書をあずけ一人で宿題をさせたら
こんなことに!!!!!

2012.12-3
ようやくトビーもものわかりがよくなってきたので、
今年はみんなで一緒にツリーの飾り付けをしました。

2012.12-4
生後3ヶ月からひたすらずうううううっと身につけていた
Teething Necklace、自分から「外す」と言ったので
いよいよ外しました。実に3年間、お世話様でした!

2012.12-5
11月24日、ロケットパークで行われたカルチュアルフェスティバルで
モニの学校からダンスのグループが沢山出ました。
今年はモニはマオリグループに所属したのでカパハカダンスを。

2012.12-6
12月8日、私とモニだけ夜、念願のMary Poppinsを見にCivicへ。
とってもよかった!毎年こういう子供も楽しめるミュージカルが
来るといいんだけどなぁ。

2012.12-7
12月14日、トビーのデイケアでクリスマスパーティーがありました。
私は忙しくて遅れて行ったのでパーティーのメインは見れなかったけど、
フェイスペインティングをしてもらって楽しんだようです。

2012-12-8
12月22日~1月5日まで、Whangamataという小さなビーチの街へ
クリスマスホリデー。
一週目は雨が多かったけど、どうせ海に行けば濡れるので結局
天気はあんまり関係なかったかも。
モニは毎日ボディーボードをやってたのしんだよ。

2012.12-9
その辺から木を拝借して生のツリーを飾ったよ。

2012.12-10
25日、一泊だけど、ダディのお友達のインディアンファミリーが
遊びに来てくれたよ。モニと同じ年の女の子、トビと同じ年の
男の子がいたので、子供たちも大盛り上がり。
2012.12-11
26日から5泊、愛子が来ました。
ちょっと予期せぬ長居だったけど。。。。
ちょこっとモメ事もあったりで、まぁファミリー事はしゃーないね。

2012.12.12
ダディーのお友達のバッチ(別荘)を安く借りれたのでラッキーでした。
キャンプと違って天気も心配いらないしね。
便利な立地だったし、なんでも揃っていたのでほんと居心地
よかったでした。

今年もスタート。
みなさん、2013年もよろしくね♪

5歳児がこういうものなのか?

5歳になって4ヶ月、小学生になって4ヵ月。

年なのか?学校が始っての環境のせいなのか?


トビを見てると

「あ~、モニもこの前まではこんなんだったな~」

って思う。素朴というか。



ゴミが出たらすぐゴミ箱に捨てる

脱いだ靴は揃える/服は時々はたたむけど、
まぁそうじゃなくてもまとめて置くぐらいはする

なんかしてもらったら「ありがとう」っとすぐ言える

知り合いに会ったらちゃんと挨拶できる



こういうことが普通にできていたんだけど、5歳になったあたり
から全然ダメ子ちゃんになって来た。


「ゴミ?言われるまで捨てなくていいんじゃね?」

「靴?マミィーが揃えてくれるっしょ」

「挨拶?言わなくても私が困ることはないしぃ~」


な~~んて心の声が聞こえてきそうな感じで
なんか全てにおいて反抗的というか、わざと悪さして怒られた
がってるっていうか。

私の気を引いてるのかもしれないし、年頃で反抗というか悪
ぶってるのかもしれないし、はたまた学校からの影響かなぁ~?


みなさんの5歳児はどうですか??


cooking



平日はほとんどなぁ~~~んもしてくれへん旦那ですが、
週末はときより朝からこうやって親子で料理してくれたりします。

最近「手伝う」ことが好きなモニなんだけど、日頃は私の仕事が
遅くなるからテキトーにあしらわれて、たいした手伝いもやらせ
てもらえないから、週末ぐらいはタップリやらせてもらって下さ
いな。





この日は朝からフレンチトーストwithベーコン&バナナでした。


ふぇ~~?ベーコンのしょっぱいのとバナナの甘いの?


っと思いがちですが、おいしいんだよね。こっちでは普通にカフェ
であります。





今、成田までの往復899ドルで出てます。超、日本、行きてぇ。

マルモリダンス

『マルモのおきて』

日本ですごい流行ってるみたい。
そのエンディングで出演しているマナちゃんと福ちゃんが踊っている
ダンス、モニに見せたら頑張って一人で覚えた。
ところどころ間違ってるけど許してあげてね~~。
YouTube見て一人で覚えたにしてはなかなかだっと思って下さい。







この後、私も踊らされて動画取られた。
ヒドイ~~~~~~。
まじ、かわいくない~~~~~~~~~~。


持ちこたえて!

あれから一週間、雪の降る、寒い寒い避難所におられる方々のことを思うと、
なんとか早く、せめて電気・水道ぐらいは通るところに移してやって欲しいなぁっと思います。

今日は実家の母と姉と話しました。
わが町でも被災地の方々を受け入れ始めたそうで、会館みたいなところ
でお世話をしているそうです。素晴らしい。助けあい、頑張っていただきたい。
ちなみにわが町は仙台より、どれぐらいでしょう?約60キロぐらいかと思います。


山形出身の私なんかより、もっともっと被災地に近い方の目線でのお話も
あると思いますが、隣接する山形の事情(家族)を記録しておきます。


地震から8日目、電気・水道・ガス・電話等のライフラインは通常通りに戻ってますが、
首都からの道路事情とガソリンの問題で物資が入って来ず、
近辺のスーパーは食料がガラガラだそうです。

昨日、久しぶりに近所のスーパーで菓子パンがあったので4袋を掴みレジに持って行った母、
「一人一袋までなんです」っと断られたそうです。
そのたった一個の菓子パンを何等分かに切って、子供優先で食べたそうです。

車で行けば物がわりとあるスーパーがあるらしいのですが、
なにせガソリンが手に入らない状態(2日前、町に数軒あるガソリンスタンドのうちの
たった一軒が開店したそうです、が、1キロ以上の行列ができたそうです)なので、
諦めてるようです。

しかし、あと数日後には物が入るようになる、っという噂があるようなので、
なんとか大丈夫かな~っとわりと前向きでいます。

不便な生活をしていますが、それでも「太平洋側の人たちに比べれば幸せなものだ、
申し訳ない」っとみんなが口にしています。



わたくし、10~12年前の2年間、仙台に住んでおりました。
今回の地震が起きた後、わりと初期に「若林区に遺体200~300」っていうニュースがありました。
その若林区に住んでおりました。私は同じ区でも内陸の方でしたので、
海側の方はあまり知識はありませんが、避難所となっている小学校は
近くにあった記憶の名前、でした。

あそこら辺が・・・・・

っと思うと、事実を受け止めるのが怖いです。



仙台空港近くがご実家のお友達、家を流されてしまいました。
そしておばぁちゃんがお亡くなりになりました。。。。。。。。。

きっと90代のおばぁちゃん。長生きされてきたのに、最後にどんな恐怖心、痛みと戦って
亡くなっていかれたのか、っと思うと、胸が苦しくてしょうがないです。

そんな不幸があった中でも友達は、「親戚のお家にいられるから、避難所にいる人たち
よりも恵まれてる」っと言っています。
そんな状況でもこんなことが言える状況、どんな状況なんだろう。壮絶。




8ヶ月の赤ちゃんと旦那さんを連れてスペインから仙台に一時帰国されていたお友達。
オーストラリアとNZとカナダが仙台から東京まで移動するガイジンさんたちの
ためにバスを準備していたそうです。そのバスに乗せてもらうことができて
旦那さんと赤ちゃんと一緒に仙台を出たそうです。
そして次の日、スペインが準備した軍用機で帰国させてあげると言われたそうですが、
赤ちゃんに軍用機はあんまりよくないそうで、商業用の飛行機で昨晩帰路につきました。
そんな彼女とスペイン大使館に滞在中の間、携帯で話したのですが、
「家族をみんな仙台に置いて行くなんて心配で。」っと泣いていました。
すごい決断力がいったと思います。どうぞご無事で帰国されますように。。。




実家近くに住む姉家族。
長男(私の甥っ子。24歳)が姫路で一人暮らしをしています。
南の方の人は生活になんら支障がないのでまた東日本の方たちとは感覚が違うようです
(私も実際、阪神大震災のときは若かったし東京にいたので地元の方たちとは感覚が
まるで違っていたと思います)。
甥っ子はネット等で情報を収集しているようで、恐怖心がかなり膨らんでいるようです。
姉に「今すぐにでも迎えに行くから一緒に姫路に移動しよう」っと言ってくれているそうです。
なんとも頼もしい息子!!

しかし、信用できないわが国日本国国家、ですが、さて、放射能についての情報は
どこまで信じればいいのやら?

っと悠長なことを言っている間にまた爆発して今まで以上に漏洩してしまう可能性も
ゼロではないことも事実。


実はわたくし、東京にいる頃、原子力の会社に6年ほど勤めていました。
腰掛OLでしたので、どれがどうなってどうなるのか、なんて難しいことはわかりませんが、
未だに連絡を取り合っている上司もいますので、今回のことでメールしてみました。
専門の方はどれぐらい危機感を抱いているのか?っとさぐりたくて。

彼は福井に単身赴任なのですが、ご家族は茨城におります。
地震でお宅がダメージを受けて修理をしないといけないようなのですが、
おじぃちゃんと息子さんが会社を休んで屋根の修理等をされている、
私は交通手段が復活していないので、福井におります、っということで、
別段焦ってる様子もなく、ご家族を避難させる計画なんかもなく、
っといった感じでした。それを見て、「大丈夫なのかな。うん、きっと大丈夫なんだ!」
っと思うようにすることにしました。

山形の実家は福島の原発から120キロ。微妙です。アメリカさんは80キロ以内に
入るなとか言ってるんで、微妙な距離です。


アメリカさんっと書いて思い出した。
ちょっと愚痴っておこう。

ガイジンさんたちの避難についての行動は、おフランスさんが一番早かったかな?
そんなに放射能が危ないってことをご存知のお国なのに、
以前はずいぶんと核実験を自国からわざわざ遠く離れた大西洋でドカンドカン
やっておられましたよね?

アメリカさんもそう。80キロ近づくなって?
そんな危ないものを、一度とならず二度までも、広島・長崎と落としてくれました。

東電さん。
読んで字のごとく、東京電力。東京、関東。
福島って東北なの。福島は東北電力から電力もらってるの。
水道代が安いとか給付金があるとか恩恵は受けていたかもしれませんが
(私の予想です。調べてないです。)、関東に電力を送るための
原発で福島のみなさんが被害を受けている。
なんとももどかしい、むごい、やるせないっ!




愚痴っても何も今は始らない。
そんなマイナスエネルギーは最小限にし、今は、苦しんでいる方々のことを思い、
なにもできないけど、ただ思い、自分も節制して、気持ちを送ろう。

この災害が落ち着くまで、まだまだ先が長い。復興まではもっともっと時間がかかる。

避難所の方、泥で汚れた手を洗う水もなく、汚い手で冷たいおにぎりを
食べているそうです。

ずうううっと応援、サポートしていけるように、今は静観し、こういう現実を記憶にとどめ、
いらない情報は消去し、前向きでいられるように心がけよう。うん。


*モニの誕生会、先週でよかったです。今週末だったら多分、私、できなかったと思います。
 落ち込んでおられる中、忙しい中、来てくださった方々、おめでとうっと連絡をくださった
 方々、再度、ありがとうございました。
 モニは元気で小学生になりました。キンディーが終わった次の日、「キンディーに行きたい」
 っと珍しく泣いていましたが、今は「スクールの方が楽しい」っと言っています。



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プロフィール

モニやん

Author:モニやん
40代中盤の旦那
40代突入のモニやん

不妊治療の末、2006年3月13日に第一子の女の子(モニ子)、
2009年8月18日に第二子の男の子(トビ)を授かりました。

子育て日記+NZのことなんかをちょこちょこ書いています。

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